初日は朝、ハノイから飛行機でディエンビエンフーへ
フランス軍とベトナム人民軍との最後の攻防戦が行われ、その結果は
アメリカ軍の介入となりベトナム戦争への糸口となった場所です。
まわりを比較的なだらかな山に囲まれた典型的な盆地(甲府盆地より
狭い)、最近のイラン・アフガン戦争から考えると、こんな狭くて小さいところで、接近戦が行われたとは想像がつきにくい、のどかな景色です。
人民軍がトンネルと塹壕を四方の山から掘って、丘のフランス軍陣地を
攻略した跡が残ってました。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ディエンビエンフーの戦い
戦争: 第一次インドシナ戦争
年月日: 1954年3月13日〜5月7日
場所: ベトナム北西部のディエンビエンフー要塞
結果: ベトナム民主共和国人民軍の圧勝
交戦勢力
ベトナム民主共和国人民軍 フランス共和国
指揮官
ヴォー・グエン・ザップ総司令官 クリスティアン・ド・ラ・クロワ・ド・カストリ大佐
戦力
10万人前後 2万人強
損害
8000人戦死、15000人負傷 2200人戦死、捕虜1万人以上
1954年3月開戦時のディエンビエンフー。緑の部分が、フランス軍が盆地の中の丘の上に作った陣地(すべて女性名)。うち最南部のイザベル陣地は危険なまでに他陣地から離れている。対するベトミン軍は5個師団を盆地を見下ろす北部及び東部の山頂に配置した。ディエンビエンフーの戦いは、1954年3月から5月にかけてベトナム北西部のディエンビエンフー(奠邊府, Đin Biên Ph)で起こった、第一次インドシナ戦争中最大の戦闘。ベトナム軍とフランス軍あわせ約1万人の戦死者を出した。同戦争の大きな転機となり、フランスはベトナム撤退を余儀なくされることになる